2019/03/17
コラムのようなもの「どこかの誰かにいつか届けば良いと思う話」
嘘は良くない、なんで嘘をつくの?、と誰かには言いながらも、人は嘘をつく生き物だと思っている。
その理由は様々で時には嘘をついた方が良いという状況も少なからずある。
しかし私は未だに、どうしてあんなにすぐバレる嘘をついてしまったんだろう、と思う出来事がある。
高校を卒業して、歌いたいという野望しかなくてすぐに東京に出た。
軽音部の顧問が「本気で歌いたいなら東京の知り合いを紹介するよ」と持ちかけてくれて、すぐさま紹介してもらってその事務所を訪ねた。
その事務所にお世話になりながら歌手を目指していたところ、そこの社長が「自分で曲を書いた方が良いよ」と言った。
私はそんな気は一つもなくて、誰かセンスある人に楽曲提供してもらえないかな〜と甘ったるいことばかりを考えていた。
そんな時、社長が私に曲を書いてくれた。
初めてのオリジナル曲、歌詞をどうするかという話になった時に「言葉の上手な友人に頼んでみます」と私は言った。
友人は乗り気で歌詞を書いてくれて、締め切りギリギリではあったが1曲きちんと仕上げてくれた。
それを社長に提出する日、実はひっそりと書いた自分の歌詞も持って行ってしまった。
自分でも分かるくらい私の歌詞はその子のクオリティーを遥かに下回っていて、何なら手書きで書いた歌詞の紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てたほどだった。こんなの出したって採用されないに決まっている、と全く自信が持てなかった。
しかし、歌詞を発表する日に急にそれが惜しくなって、ゴミ箱から引っ張り出して社長に提出をした。
友人の歌詞を見せた後に、「実はもう一つ書いてくれていて」と、さもその友人が書いたかのように嘘をついて自分の歌詞を見せてみた。
それは友人とはまるで筆跡も違うし、内容の方向性も全く違うし、
今思えば…いや、その時にだってそれは友人が書いたものとは違う、と誰もが分かるものだった。
社長は「本当にこれはその子が書いたの?」と何度も聞いてきた。
自分です、と言えるチャンスはその回数分あったのに、私は「はい、友人が書きました」と何度も嘘をついた。
どうしてこんなにも誰にでもバレる嘘を咄嗟についてしまったんだろう。
それはきっと、査定されたくなかったのだ。
この歌詞はダメだね、才能がないね、書き直して来い、友人の歌詞の方が圧倒的に良いね、
いくらでもそう言われることは分かる、それを直接言われたくなかったのだ。
それなのに私は、「こっちの歌詞の方が良い」と万が一にも言ってくれないか、言ってくれたら嬉しいのに、と思っていた。
あんなに言い張った私を、その当時40歳くらいだった社長はどう思っていたのだろう。
呆れていただろうか、18歳くらいの若造は扱い辛いなと思っていただろうか。
もしかしたらあの時、私がもっと査定される勇気があれば、もっと成長は早かったのだろうか。
きっとあの時の社長は私を育てたかったはずだ。
誰でも最初からうまくいくことはない。それは長年音楽業界を渡り歩いて来た社長ならば分かり切っていたことなのに、私は誰かの人生がそこに至るまでにどんな苦労をしたかを鑑みる能力は持ち合わせていなかった。
ただただ、自分に才能がないと言われるのが怖かった。育ててくれるはずであろうその思いに応える懐を持ち合わせていなかっただけだ。
今、自分が誰かに何かを言ってもらえている環境ならば、一度そこに自分を預けて色んなことに挑戦してみるのも悪くないと思う。
その人が呆れてしまったら何も言わなくなって、どうでもいいやと放ったらかしにされるだけだ。
(その当時はブラック企業という呼び名はなかったが、自分の基準として、お金を取られたら逃げる、などは決めていました。こんな時代だからちょっと補足はしときますが。笑)
なんだかんだ自分を成長させるのは、自分の力でしかないのだ。
誰がどんな言葉を投げかけようと、自分の人生を生きれるのは自分だけ、成長させるのも何かを掴むのも捨ててしまうのも自分、他の誰かがあなたの人生を代わりに生きれる訳ではないのだから。
最後に一つだけ。
「ハテヌイノチ」という曲を、嘘をついた2年後に書きました。とてもしんどい中で書き上げました。
アレンジはその時の社長です。まあーーーーややっこしい難しいアレンジですよ。ピアノで弾きたくもないですよ。笑
でも、きっと、才能のかけらもない私が必死に作った曲を、良いものにしたいと思ってアレンジしてくださったことは今の私になら分かります。
だから、弾くのはすんごく苦手だけどこのアレンジを愛しています。
意地でも、弾き続けてみせますよ。
今は天国にいる社長、そっちで聴いとけよ。