2019/04/01

コラムのようなもの「平成が終わる」

平成が終わることに、ほっとしている。
思えば、私の音楽活動の時間がすっぽりとこの時代に入っている。

昭和で確立されてしまった大人たちの社会は、そのまま平成に持ち込まれていたと思う。
歌いたくて東京に出て音楽業界に足を突っ込んでみたら、セクハラ、パワハラ、理不尽なことの数々、今思い出しても不愉快極まりないことが起こって大人たちに相談したら泣き寝入りさせられたこともあったっけ。
デビューが決まっていたのに2年間も何もしてもらえずに飼い殺しにされた後、責任取ってよどうしてくれるのよ、と泣いて担当者に詰め寄ったら、手切れ金とも言えるお金が振り込まれて仮契約解除の書類が送りつけられて来たこともあったっけ。

書き始めたらキリがないからこの辺りで止めておくけど、私がおばあちゃんになってから振り返ってみても「平成」という時代はしんどかったなと思い返すと思う。
そんなしんどい時間が一区切りすることに、ほっとしているのだ。

 

それでも、どん底を迎えた後には信頼出来る人たちにも出会えた。
ようやくそこから少しずつ小さな石を積み上げるように弾き語りを始めて音楽仲間が出来て、それでも積み上げた石を何者かに蹴っ飛ばされて。
幸いにも歌声が広がって音楽だけでやっと生計を立てられるようになって、全ての現場で真摯に歌って好きなことが出来るようになって、それでも訳の分からない業界人やしがらみみたいなものにまた何度も蹴っ飛ばされて。
なんなんでしょうね、本当に。

でもまた立ち上がれたのは、自分で積み上げた石の感触が手に残っていたから。
崩されたらまた積めば良い、前よりももっと土台が揺るがないように。
何度も蹴っ飛ばされた分、積み方が上手になっちゃったんだよね。皮肉なもので。

気がついたらセクハラ、パワハラを上手に交わせるようになってしまったが、平成の終わりにはそれが表面化して社会全体で考えざるを得ない問題になった。
自分で音楽活動を続けていける土台も何とか形になった。

元号が変わって新しい時代が始まるまでに、もっと考えてもらいたかった問題が隠蔽されたまま持ち込まれなくて良かった。
滑り込みで、自分の在り方が構築出来て本当に良かった。

そういう意味でも、私はほっとしている。

 

新元号が発表されてから新しい時代が始まるまでに、1ヶ月ある。
この1ヶ月の間にたくさんのことを振り返って、終わらせるものは丁寧に終わらせて、どんな自分でどんな心持ちで生きていくのか、きちんと考えて新たな時代を待ち構えていよう。

これからの私は、石を蹴っ飛ばされても、笑い飛ばせるはずだから。
ね。