2018/09/25

コラムのようなもの「消費されてゆくもの」

三日天下のワンマンライブが終わりました。

今回全体のテーマ曲として掲げた「前夜祭」、この曲を歌えたことが本当に嬉しくて、インストにもしてもらってそれも嬉しくて。
過去1度だけ弾き語りで披露したのですが、自分で作った癖にすんごく歌い辛い音域で、その当時の自分の実力では表現し切れなかった。
もう一度書く。自分で作った癖に。笑

ある企画で何気なく作った曲ではありますが、自分を支えることになった言葉をしれっと歌詞の中に入れている。不甲斐なかったことや感情が追いつかなかったことや、至らない自分と蠢めく環境の隙間はどうやったら埋まるのか、と、追いつきたい理想の自分像も描いていたと思う。
当時よりも声が強くなったこともあり、今なら色んな意味で歌えると思った。リハーサルでも少し怖かったけど。歌ってみてイマイチだったらどうしようかと。
それもまた自分の中の挑戦だったかもしれない。

そしてもう一つ、カバー曲。
自分自身のルーツを探るという定期的に訪れるこの行為。
三日天下なら何でも出来そうな気がして、初めて買ったレコード、斉藤由貴さんの「悲しみよこんにちは」を1stで選んでみた。
原曲を聴いてもらえれば分かると思うのだが、アイドル然としたキラキラした印象がある。
しかしこの曲は、主人公が未亡人という設定のラブコメ「めぞん一刻」の主題歌であり、歌詞を読めば読むほどキラキラした印象には止まらない奥深さがある。

大切な人を亡くしてしまった響子さんに不意に訪れる悲しみ、その悲しみをも受け入れ内包して強くありたいという思い。亡くなったあなたを思い出す時、楽しいことの後には必ず悲しみが付きまとって来る。
その悲しみと仲良くなることが、あなたの死も受け入れ自分の心の中に大切に閉まって、これからを笑顔で生きていくという意志。
それは五代くんが、亡くなった響子さんの旦那さま惣一郎さんの墓前で「あなたもひっくるめて、響子さんをもらいます。」と言った言葉に通じるものがあるのではないか。
そんな風に解釈すると、ただ単純な前向きさの歌ではないと思えて、一つ一つの歌詞を柔らかく歌えたような気がする。(途中で歌詞ちょっと忘れたけど。←おい。)

2ndで選んだのは私が小学生の時に偏執的に好きだったアイドル南野陽子さんの「雨のむこうがわ」、
これはナンノちゃんが主演した映画「はいからさんが通る」のサントラCDにひっそりと入っていた1曲で、生粋のファンでないと知らないであろう隠れた名曲。
実は今回のセットリストの中で一番歌うのが難しかった。
出だしの音程も難しいのだが、何より表現するのが難しかった。感情も歌詞の意味もすんなり入ってくるのに、歌で発信するのはまた別ものだと思い知らされた。

そしてこの曲は是非とも、原曲を聴いてもらいたい!!
歌詞とメロディの美しさを土台に、とにかくアレンジがその美しさを確実に押し上げている。こんなにも素晴らしいアレンジがいちアイドルのシングルでもない楽曲で施されているなんて、どんなに贅沢な時代なのだ、と。
本当にこの曲好き。(途中で歌詞ちょっと間違えたけど。←おいこら。)

ワンマンライブを終えてみて、丸1日経って何故だか感極まって、
その正体は恐らく、やっと理想の形で音楽を楽しめるようになった、ようやく辿り着いた、と感じられたからだと思う。

モノが溢れてどんどん消費されていくこの世で、音楽もどんどん消費されている。
ある意味ではこんなに音楽が溢れている状況はとても贅沢なことかもしれない。寧ろ若い内は消費されていくものに浅く広く触れて見聞を広めることも大事なことかもしれない。
でも同時に、自分自身も消費されていたと気づいてしまった。
代わりのいない人間でありたいと生きて来たにも関わらず、まるでお前の代わりはいくらでもいるんだよ、と言われんばかりに私の表現も存在も消費され、いつしか心までも削り取られてしまった。

そんな中で、贅沢という意味が、
一つのことをじっくり深めていくこと、一つのことを愛で続けること、それが本当の豊かさであり心が満たされることだと気づいた瞬間があった。
しかし、音楽という表現を持って言い訳することなくそれを実現し辿り着くためには、凄まじい労力を要するということを目の当たりにし、本当の豊かさを得るのは楽じゃないと思った。

それでも、自分と環境の隙間や、追いつかない心の浅さ、行ったり来たりするブレまくる感情、
そうしたものを数年かけて少しずつ少しずつ埋めていって、三日天下のワンマンライブを終えた時に、音楽という表現でやっとここまで来れた、と思えた。
以前書いた曲をリアレンジしてもらったり、過去の自分がどうしてこれを好きになったのか?と考察してみたり、そうやってこれまでの時間をもう一度今の自分で塗り重ねて、層を厚くしていく感覚。

これもきっと一つ目の到着地点であり、これからは見える景色が変わりそうで、これからの表現も生まれて来そうで、とっても楽しみ。
消費され続けた中で作った土台が生きて来るのはこれからだと確信して、また次のステージで歌いたいと思います。

…久しぶりに長い文章を公開したな。
お部屋にある毒づく用の日記には、時折長い文章を書き殴っているのですがね。うふふふふ。

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