2019/02/10

コラムのようなもの:バンドのこと

ようやく書ける日が来たなと思う。
もしかしたらわざわざ書かなくても良いのかもしれないとも思う。
でもやっぱり書いてしまうのが私なんだとも思う。

小林未郁のファンになってくださった方の大半は、海外に出始めてからの2010年以降とその後サントラ歌唱をして以降の方々が多いのではないだろうか。
それまでの私は音楽業界で嫌な思いを散々して、ほんっっとうに散々して、それから一人ぼっちでライブハウスでひたすら歌って、
ソロ活動と並行してバンド活動をして、今では当たり前となったコラボレーション企画を小さいライブハウスから始めて、という面白くも模索し続ける日々だった。

バンド活動をし始めたのはとても自然な流れで、音楽というものを一方向でしか見れない凝り固まった考えの私にとって、ただ”音楽を文字通り楽しんでいる”メンバーに出会ったからだ。
最初にサポートしてもらったのは私のワンマンライブ、2回目は私の企画でエレピとタライで入ってもらった。
その時の音が何とも言えず大好きで、おもちゃ楽器を演奏するバンドとして始まった。
メンバー全員がとにかく小さいおもちゃを見つけてはリハーサルスタジオに持ち寄り、この曲で使えるんじゃないかとかここで持ち替えられるんじゃないかとか、正解もお手本もない音楽を生み出そうとした。
それがとにかく楽しかった。

そこからバンド名義で企画イベントをしたりCDを作ったり、どんどん仲間も増えてツアーにも出て活動は広がってゆき、フルアルバムの発売記念ワンマンではお客さん全員におもちゃ楽器を配布して一緒に演奏もした。
バンドとしてのコンセプトも広がり方も、私自身が納得のいくものだった。

だけど、ワンマンライブが終わってから少しずつ何かが変わって行った。
私以外のメンバーの中で何かやり切ってしまった雰囲気があった。
メンバー同士で対立してしまう問題も起きたり、そこからの音楽性にほんの少しずつ変化が出て来てしまっていたし、特に誰がバンマスと決めていた訳ではないけれど、9割の仕事をこなしていた私が恐らくリーダーのような空気にもなってしまっていて、でも私自身はグループをまとめるなんてそれまでの人生でやったこともなくて、微細にずれていく関係性をどうすることも出来なかった。

それでもどうにかしたくて、もがいてみたけどどうにもならなくて、
きっともっと私が上手に立ち回っていたら違っていたんだろうけど、メンバーと対等でありたくて、メンバーと対等であるということは自分と同じ熱感でいて欲しい、自分と同じように向き合う努力をして欲しい、と思っていたと思う。
会話をしてみるものの今よりももっと感情のコントロールが出来なかったせいか、相手の揚げ足をとったり暴言に近い言葉を投げつけることしか出来ずにいて、自分がやりたくて組んだバンドだから9割の労力が私にかかっても良い、と思って始めたはずなのに、ほとんどのこと私がやってるよね!?と何度も言いたくなった。

そして。
最終的には私が爆発した。
ギリギリで保っていた細い糸のようなものが、ぷつんと切れる音が聞こえたと思った。

事実上、最後になったバンド名義でのライブは今でも忘れることが出来ない。
もうダメだ、このままでは続けられない、と思いながら、メンバーとライブをするのはしんどかった。
あんなにもステージ上で歌うことが苦しいと思ったのは、初めてだった。

ライブが終わってからメンバーにメールをした。
「私がこのバンドを率先してやってくのはもう無理。解散も活動休止もしないけど、みんながやりたいと思うならバンドを動かして。私はただ歌うだけにする。」

私の中での糸は完全に切れたはずだったのに、それでも見えない何かに期待をしていたんだと思う。
きっとメンバーは反省して話し合って、新曲を作ったりライブ予定を入れて来てくれるだろう、そんな妄想と期待をまだ持ってしまっていた。

でも。残念ながらそんなことは一つも起こらなかった。
メンバーからはひたすら私の様子を伺うメールが来るばかりで、会って話そうとか電話の一本すらも全くなく、長いメールが来るばかりだった。
メールが来れば返してはいたけど、いつになったら私としっかり向き合ってくれるんだろう、いつになったらライブ予定を入れてくれて、いつになったら新曲出来たよと言ってくれるんだろう。
ずっとずっと考えて、色んな人に相談して、モヤモヤとした毎日を過ごして、それでもどうにもならなかった。

ある日、何がしかのきっかけで遂にメンバーの一人と電話をする日が来た。
浮かれた声だった。「俺、新しくバンドを組んだんだよね」と言われた。
あぁ、私が苦しんで悩んで、メンバーも同じように考えてくれているのかなと不安な日々を送っていた時間に、もう新しいことを始めていたのか、と思った時、完全に終わりが来たなと思った。

そして私は、もう解散しよう、と言った。
気持ちがギリギリになってから、1年が経っていた。

その後2回くらいは私のソロにサポート入れる?なんならバンド組む?という機会もあったが、どちらも立ち消えてしまった。
私の気持ちが追いつかなかったし、あのバンドを超えるものでないと他の人と音を作りたくない、と思った。
元々ソロ気質でソロ活動も続けていたから、とってつけたようなサポートやバンドを組むくらいなら一人で活動する方がよっぽどか音楽に真摯だと思った。

そんなことを経て辿り着いたのが三日天下。
本当に長かった。
ようやく、一人ではなく誰かと生み出す音楽で、これだ!と思える音とメンバーに辿り着いた。

それと同時に、過去のバンド活動はやっと大切な時間に変わった。
宝箱に仕舞うように蓋を閉じて、今は私の糧になっている。

こんなに書いておいて誤解されたくないのだが、私は過去メンバーのことはとても好きだった。
人間的に本当に好きだった。好きだったからこんなにも未だにあの時間を思い出し書きたいことが溢れていて、未だに時折彼らの活動を気にしてしまったりもする。
だけど、音楽活動を続けていく、ということに於いてはやっぱり速度も姿勢も違っていたし、どんなに巻き戻してもあのまま続けていられたとは思えない。

たまに私は人と出会うことを電車に例えることがある。
各駅停車と特急列車があって、とある駅の待ち合わせで向かい合うことがある。
だけど、特急列車は先に出発して走ってしまうし各駅停車は自分のペースでのんびり走る。
人生に於いてはどちらが良い悪いではなくて、速度の違う人間が出会える瞬間は数駅しかないということだ。

これが環状線だったらまた出会えることもあるかもしれないし、列車本体が変わればこのままずっと出会えないかもしれない。それは分からないしそこはもう運命に任せようかなと思っている。
どちらにせよ私にとってはあの4年間はとても貴重な時間で、今の音楽を作る一つの要素になっている。

彼らが私をたまに思い出してくれていたら嬉しいけど、それはどうかな。
なにしろ、薄情な奴らだったからね。笑

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